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SPECIAL ARTICLE

特集❶ 温故知新

2021/8/9

330年の時を経て「松濱軒」から学ぶ日本の建築【1/3】

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八代市で多くの観光客が足を運ぶ、国指定の名勝「松濱軒」。

330年の時を超えてもその威風堂々とした佇まいや美しき庭園は今も人の心を捉えます。

長い歴史の中にあって数々の風雪にも耐えてその姿を留めるのは、先人たちの知恵と優れた技術、そしてその歴史を代々受け継いできた主の思いがあります。

今も松濱軒を守り繋ぐ14代当主・松井葵之さんとともに松濱軒を巡りました。

迎賓館として江戸時代から今へ。品格を重んじる繊細な日本の文化

近代的な建造物の八代市博物館や図書館などが立ち並ぶ八代市街地の一角に、白壁の長塀、重厚なかぶき門、中に入ると桂離宮を彷彿させる荘厳な二階建ての母屋や茶室、日本庭園が待ち受けます。

ここは元禄元年・1688年に創建された「松濱軒」。八代城主4代・直之が生母崇芳院尼(すうほういんに)のために建てたお茶屋です。

松井家は肥後熊本藩主細川家の筆頭家老として八代城主を任され、以後明治に渡るまで225年もの長きに渡って八代城と城下町を治めました。国指定重要無形民俗文化財となっている妙見祭の保護奨励や八代海の干拓事業も進めるなど、現在の八代文化を形成する足跡を残したお殿さまでした。

お茶屋と聞いてもあまりピンと来ない人も多いのではないでしょうか。今でいう迎賓館、別邸のようなもの。当時の書院造りと数寄屋づくりを併せ持った様式は、華美さを抑えた品格を重んじる繊細な建築。特権階級の別邸ですのでそれは贅を尽くしていて、敷地は何と2700坪。広い庭にはもともとこの地にあった赤女(あかめ)ヶ池を取り込んで当時は球磨川の水を導水して池泉回遊式の庭園を作り上げています。庭は玉石を置いて中島を設けたり、山奥を思わせる築山を配するなど見事な日本庭園を築きました。

「当時はすぐ近くに海があって、ここから松林越しに、宇土半島や阿蘇山、普賢岳まで見えたそうです。〝松濱軒〟の由来はそこから来ているのです」と、穏やかな口調で話す松井家14代当主松井葵之さん。松濱軒を始め、松井家が所有する古文書や美術工芸品などを守りながら、八代市立博物館の館長を務めるなど今も八代市の文化の保護育成に尽力しています。

襖絵や金箔を塗り込んだ壁など母屋でも格式が高い部屋とされる「書院」。畳床の明り取りの格子窓や違い棚をあしらった床の間など現代に残る和の意匠がほどこされている

松濱軒の中で一番眺めがいいとされる部屋「書院」。昭和35(1960)年に昭和天皇がお越しの際はここで食事を取られた

日本特有の建築技法、唐破風の玄関

●お話をうかがった方

松井家14代当主 松井 葵之さん

八代市立博物館未来の森ミュージアム館長

松井神社代表役員 宮司

一般財団法人 松井文庫理事長

庭園にある京都伏見の稲荷を勧請した稲荷神社。毎年2月の初午祭には大勢の参拝者が訪れる

踏み石には大きな石をあしらいそのまわりには小石を敷き詰めて、浜辺を思わせる演出。床下を高くし通気を良くして木材の腐敗やシロアリを防ぐことで、330年を経ても変わらない姿を留めている。母屋の向こうには茶室が続く

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