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SPECIAL ARTICLE

特集❶ 温故知新

2021/8/19

330年の時を経て「松濱軒」から学ぶ日本の建築【2/3】

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四季を愛でる暮らしの工夫。雁行型の母屋から望む庭園の趣き

330年前の姿をそのままとどめる母屋は、2階建ての雁行型で、庭園の池に沿うように東西に広がっています。玄関から大広間、そして茶席として利用される二間続きの白菊の間と月の間、書院など、用途に応じた部屋がいくつも用意されています。雁行型なので屋敷内は迷路のように独特な繋がりを見せ、部屋ごとに異なる庭の景色を見ることができます、各部屋は杉戸やふすま、障子などで仕切られ、また畳敷きの中廊下などを配して部屋を繋ぎます。ここが住まいとしてではなく迎賓館として造られたのだと思わせるものの一つは、どの部屋にも押入れがないこと。母屋全体が客人をもてなすものとして捉えられ、押し入れは不要なのでしょう。もちろんふとんや座布団を収める場所は必要で、そこは一つの部屋を利用しています。今でいう大容量のウォークインクローゼットでしょうか。

 

江戸時代のころは細川藩主の接待や松井家の清遊の場として大いに利用され、また希望すれば上級武士は庭園の見学ができたそうです。昭和24年には、昭和天皇・皇后両陛下が熊本に巡幸した際には宿泊所となり、昭和35年に熊本県で開催された国体の際には両陛下の休憩所として立ち寄られています。

 

「昭和35年の時には私は14歳で、多くの人が家に来て、柱から全て磨いてお迎えをしたことを覚えています」

そんな格式高い場所でも、松井さんにとっては自宅です。幼少の頃は自由に遊びまわり、友だちとよくかくれんぼをしていたそうです。何とも羨ましい。

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松井家が代々妙見祭を庇護したこともあって、今でも毎年11月にはこの庭で獅子舞が特別に披露される。300年以上時を経ても城主への恩を忘れない地域の人たちの思いが伝わる

二間続きの「白菊の間」と「月の間」。毎年開かれる肥後古流のお茶会はここで多くの人が茶を嗜む。「菖蒲茶会」菖蒲の花が見ごろのころ毎年6月の第1日曜に肥後古流松華会による茶会が行われる。

※今年の茶会は未定

雁行型の母屋を囲む縁側。壁絵や板戸絵には四季折々の絵が描かれ、日々の暮らしを楽しんでいた

松濱軒と聞けば思い出すのは「肥後花菖蒲」。熊本藩士の精神修養のため奨励された園芸ブームによって生まれた「肥後六花」の一つで、ここには毎年5月下旬には5000株の菖蒲が咲き誇ります。これに合わせて現在も「肥後古流(千利休の古式を伝える茶道)」の茶会が開かれていて、多くの人が訪れます(通常母屋は非公開。茶会の時は開放されます)。母屋の茶室の他に、庭内には「林鹿庵(りんろくあん)」「綴玉軒(ていぎょくけん)」など茶室が設けられ、茶道を愛好した松井家らしい風情が残ります。

 

訪ねたのは早春のころで、菖蒲の見ごろには追いついてはいませんでしたが、冬枯れの景色の中に春を待つ生命息吹のような力強さを感じました。なかなか趣きがあって、これもまた一興。

 

「肥後菖蒲が咲くのは1年の内わずかな期間だけ。今の季節は松濱軒の素の姿です。春夏秋冬、その時々の庭をみなさんには楽しんでいただきたいです」

 

ちなみ松井さんは幼い頃から雨の日が好きだったそう。縁側に座って、池に降る雨音を聞きながら本を読みふける少年の姿が目に浮かびます。

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